大島博社長が新たなフルーツ革命!千疋屋総本店の挑戦!

大島博社長が新たなフルーツ革命を起こします!ゼリーやケーキで千疋屋総本店の挑戦に老舗の伝統と革新をみます。10月6日(木)カンブリア宮殿に千疋屋総本店の代表である大島博さんが出演されます。大島さんが社長に就任し始めの頃は、先代のやり方をしていましたが、やはり、時代とのギャップを感じ、時代に合う手法を模索していきます。

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改めまして、こんにちは、蒼士です。

千疋屋総本店の代表 大島博さんのプロフィールから紹介します。

大島博さんのプロフィール紹介

大島博出典:http://www.kokorogroup-miki.com/contents.cgi?contents_id=19

名前:大島 博(おおしま ひろし)
生年月日:1957年3月13日(60歳)
出身地:東京都中央区日本橋
出身校:慶應義塾大学 法学部 政治学科
所属:株式会社千疋屋代表取締役社長

大島さんは、社長に就任当初は、先代からのやり方を踏襲していましたが、やっていて時代に合わないと感じ、時代に合うやり方を模索しだします。

歴代の社長たちは、全員、時代に合うやり方を模索してきたといいます。

経営者たるもの挑戦することを忘れないことは大切なことなのですね。

経歴

大島さんの経歴ですが、

1981年4月 アメリカのコロンビア大学へ留学

1983年3月 ロンドンへ渡英し、アメリカとイギリスで専門店経営について学びます。

1984年4月 イギリスから帰国し、株式会社ドップス・インターナショナルに入社

1985年11月 株式会社ドップス・インターナショナルを退社

1985年12月 株式会社千疋屋総本店に入社

1998年2月 41歳で代表取締役社長就任

奥田透のプロフィール・経歴を公開!プロフェッショナルに出演!

 

株式会社デーメテール千疋屋代表取締役社長

株式会社千商代表取締役社長

国土審議会専門委員

社団法人東京青年会議所理事長

社団法人日本青年会議所副会頭

東京商工会議所中央支部小売分科会副分科会長

NPO法人東京中央ネット副理事長

大学を卒業されてからは、アメリカに留学し、その後、イギリスへ行って社会勉強をしました。

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帰国されたのは、昭和59年3月で4月からドップス・インターナショナルに入社し、1年半ほどで退社し、12月から千疋屋に入社します。

役職は、貿易部長から常務取締役へ、そして、代表取締役と順調に昇進していきました。

千疋屋の歴史

千疋屋が始まったのは、天保5年の1834年で大島流槍術の指南をしていた初代・大島弁蔵は、道場の庭で野菜や果物を作り、それを船で運び江戸で商いを始めたのが始まりです。

弁蔵は出身地の名を取り『千疋屋弁蔵』と名乗ります。

後に愛称で『千疋屋』と呼ばれるようになり、それが屋号となります。

庶民的な商いは、2代目・文蔵が大きく飛躍させます。

妻のむらが浅草の大店の娘であったおかげもあり幕末の著名人や高級料亭にひいきにされるようになり、千疋屋はいい高級な果物を取り扱う店へと変わっていきます。

明治元年、3代目のときに日本橋室町へ移転します。

3代目は、国内産果物や外国産果物の品種改良や果物を使った商品の開発と果物文化向上に情熱を注いでいました。

4代目は米国に視察に出かけて、ソーダファウンテンから着想して、日本初のフルーツパーラーを開きます。

5代目は、博さんの父ですが、『輸入果物なら千疋屋』の名に恥じないようにと海外50カ国以上を渡り歩いて、果物の新規提供を続けてきたそうです。

それでは、6代目の博さんはというと『高級路線』から『ひとつ上の豊かさ』を提供することとして、千疋屋の新しい取り組みをスタートさせています。

まとめ・感想

  • 大島さんのアイディアは、たくさん出てきては実践し、成果を上げるものが多いです。どんなものかというと、若者にも購入しやすくしてもらうために、買いやすい価格帯を揃えた洋菓子や、果物を使った加工品などの品揃えを強化したり、ネットでも購入できるようにネットショップを開設したり、全国各地のイベントなどを活用して全国的に知名度アップをしたり、千疋屋カフェなどができました。ほんとに挑戦していますね。
  • 千疋屋さんは、フルーツパフェの原型を作った日本で最初の店舗という称号を持っています。フルーツサンドも販売中。
  • 大島さんは、時代に合わせてブラッシュアップが必要だと意識されている方です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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