佐々木節子の現在は?東京五輪女子バレー東洋の魔女Sの今!

佐々木節子さんといえば東京五輪女子バレーでは最強の『東洋の魔女』と言われ、その現在を調べます。東京五輪では最年少であった佐々木さんも今では71歳になります。爆報!THEフライデーに出演されます。番組では3000坪の林の中であるものを拾って生活していると、あるものってなんでしょうね?

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改めまして、こんにちは、蒼士です。

今回、爆報!THEフライデーに東京五輪で女子バレー東洋の魔女で最年少だった佐々木節子さんが登場します。

まずは佐々木さんのプロフィール紹介です。

佐々木節子さんのプロフィール紹介

佐々木節子出典:http://www2.toho-movie.jp/movie-topic/1201/06always_ib.html

名前:佐々木 節子(ささき せつこ)
生年月日: 1944年10月16日(72歳)
出身地:茨城県
身長:173cm
体重:60kg
出身高校:大成女子高等学校
元勤務先:日紡貝塚

日本の元女子バレーボール選手で、1964年の東京五輪で金メダルを獲得しました。

ご存じの方も多いと思いますが、当時の女子バレーは最強で『東洋の魔女』との異名を持っているほどでした。

その最強女子バレーの中で佐々木さんは最年少で、選手選考会では、将来性が評価されてメンバー入りが決定したほどの逸材です。

経歴

佐々木さんは、高校時代からバレーの強豪校でバレーをし、鍛えられました。

そして、日紡貝塚その後ニチボー貝塚に所属します。

現在、ニチボー貝塚は、その後、ユニチカ・フェニックスとなりますが、会社が経営不振で会社の貝塚工場が操業停止となり、バレーチーム選手全員を東レ滋賀事業所が受け入れることになり、東レ・アローズへ移籍という流れになっているようです。

佐々木さんは、ニチボー貝塚から日本代表に将来性を期待され抜擢されます。

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ポジションはエース!

このときの日本代表選手の12名のうち10名がニチボー貝塚の選手だったそうです。

1964年に東京五輪に出場し、宿敵ソ連を下して優勝します。

1967年の世界選手権まで続けて、見事、優勝します。

その後、引退されました。

東洋の魔女について

なぜ、女子バレーボールチームが東洋の魔女と呼ばれるようになったのかというと、実は東京オリンピック以前から、日本の女子バレーチームは世界から東洋の魔女と呼ばれていたそうなのです。

1961年のヨーロッパ遠征で「日紡貝塚女子バレーチーム」が22連勝し、ソ連からの外電で、日紡貝塚女子バレーチームを「東洋の台風」「東洋の魔法使い」と言う表現をしていたため、この表現から「東洋の魔女」というのが生まれたというそうです。

このことから、当時の女子バレーは強かったというのがわかりますね。

1962年の世界選手権で、宿敵ソ連を下し優勝しました。

その後、引退を監督と選手で表明をしていたのですが、2年後に開催される東京五輪で女子バレーが正式種目になるということで、オリンピックまで同じメンバーで続けることになりました。

東京五輪では、期待通りの活躍をし、決勝戦で日本チームが攻撃するたびにアメリカのテレビ局の解説者が「The Oriental Witches(東洋の魔女)」を連呼したことで、東洋の魔女という名称は、世界的に知られることとなったのだそうです。

動画

まとめ・感想

  • 佐々木節子さんが所属されていた日紡貝塚は、東レ・アローズへと変わり今では木村香織選手などが所属しています。日本代表選手を多く輩出している名門チームということですね。
  • 佐々木さんの現在は、全国ドッグランサービス協会に所属されているようで、愛犬のミニチュアダックスのクーとの時間が楽しいようです。爆報!では、3000坪の敷地で何か拾っているということですが、予想では『落ち葉』ではないかと思われますが、いかかがでしょうか?当たるといいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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