臼井二美男がプロフェッショナルに出演!wiki風に紹介!

臼井二美男氏(義肢装具士)、別の名が『義足の仙人』と呼ばれる義足のプロです。9月5日に『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演されるということで、wiki風に紹介していきます。臼井氏は、2016年9月8日から始まるリオ・パラリンピックに出場する選手の義足の調整もしており、多くのアスリートに義足を作っています。

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改めまして、こんにちは、蒼士です。

臼井二美男さんのプロフィールからご紹介します。

臼井二美男さんのプロフィール

臼井二美男出典:http://www.jinzai-bank.net/edit/info.cfm/tm/084/

名前:臼井 二美男(うすい ふみお)
生年月日:1955年生まれ(執筆当時 61歳)
出身:群馬県
血液型:B型
職業:義肢装具士
ヘルスエンジェルス代表
別名:義足の仙人

義肢装具士になる前の臼井さん

臼井さんは、最初から義肢装具士になろうと考えていなかったそうです。

実家が農家で、次男坊ということで、両親からは公務員や銀行員になれとしか言われなかったそうです。

それは、ご両親が農家のことしか知らず、田舎町だったということで色々なことを知ることができなかったからだと臼井氏は語ります。

高校卒業をして、東京の大学で文学部に通うのですが、文学部の理由は特になく、自分は経済学部や法学部よりは文学部と思ったから。

でも、東京に来たのは、大学に通うより、『自分は何がしたいのか?』、『自分はどうしたいのか?』を見つけることが目的でした。

大学に行くよりもアルバイトに比重を置いてしまい、大学は中退することになります。

大学中退後から8年間は、フリーターとして生活していきます。

色々なアルバイトとをします。

ガードマン、バーテン、ワゴンでTシャツを売る露天商、音楽事務所でのコンサート企画、トラックの運ちゃんなどを経験します。

28歳に今の奥さんになる彼女とお付き合いから結婚を考えるようになり、お相手のお義父さんから就職するように言われたことから職業訓練校に通ってみようとしました。

相談に行った職業訓練校の帰りに、もう一校別の職業訓練校を見つけて寄ってみると義肢科を見つけます。

このときに『義肢』の二文字を見て、今まで思い出しもしなかったことを思い出したのです。

それは臼井さんが小学6年生のころ担任の女性教諭がしばらく休まれました。

そして、1カ月ほどたって教室に現れた先生は、片足を義足にしていました。

『私はこっちの足が義足になっちゃいました』と言ったのです。

骨肉腫という病気で大腿部から下を切断したのです。

当時の臼井さんには、よく分からなかったのですが、先生に触らせてもらう機会がありました。

触った時臼井さんはショックだったそうです。

先生の足が機械みたいになってしまったのは、子供心にもすごいショックだったそうです。

この記憶が突然よみがえってきたのです。

それで、興味が沸いたので、職業訓練校に入っていったのです。

日曜日だったのに、ちょうど義肢科の主任の先生がいて、その人に話をしたら、『じゃあぜひウチへ入学しなさい。手続きもすぐやってあげるから』ということで、その場で行くと約束します。

臼井さんは、ここから行動が早かったのです。

義肢と言っても現場も何も知らないので、義肢とつくところに電話して現場を見学させてもらうことにしたのです。

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そして、電話したところが個人でやっているから、見学するならもっと大きなところに行くといいと勧められます。そして、連絡までしてくれたのです。

勧められたのが今の職場である東中野にある
『公益財団法人鉄道弘済会 義肢装具サポートセンター』です。

ここでは課長さんがいて、見学をお願いしたら快く承諾してくれたのです。

見学をしていると、職人さんから『君は足があるの?』、『足があって五体満足なのにどうしてこんな仕事をしたいの?』などと言われて、臼井さんはびっくりです。

でも、やめる気持ちにならなかったそうです。

見学をして、課長さんから『明日も来ないか?』と言われ、臼井さんは、まだ見学していないところがあるからと思って、明日も来ますと約束します。

翌日行ったところ、「実は欠員が1人出たから、もしよかったら学校へ行くのをやめて見習いでウチに来ないか」と言われます。

職業訓練校の約束の話をすると課長さんは、『よく知っている先生だから、うちの事情を話してちゃんとお詫びをしておく。学校はキャンセルしてうちで働くということで話を進めてあげるから』ということで、なんと!就職先が決まりました。

ここから臼井さんの運命が動き出しました。

4月から鉄道弘済会で働くことが決まり、6ケ月は見習い期間で、その後は正社員になれるということで、臼井さんは今でも課長さんに感謝しているそうです。

そして、入社後

義肢製作の仕事場では、まだまだ徒弟制度が濃く残っている時代でした。

臼井さんは、仕事場で技術をどん欲に吸収していきます。

まだまだ、職人気質を持つ方が多く気を使うことはありましたが、フリーター8年間の経験がここで生きます。

フリーター時代に学んだこと

『一生懸命やっていればなんとかなる!』

臼井さんはアルバイト時代の経験で義肢職人としての力をつけていきます。

そして、第2の扉が臼井さんに開きます。

それはスポーツ義足です。

義肢業界の専門誌で義足のアメリカ人がパラリンピックや登山や水上スキーで活躍している写真を見て臼井さんは衝撃を受けます。

この時代には、日本で義足で走ることを教える人も義足を作る人もいませんでした。

いないなら自分で作ってしまえと持ち前の行動力で自作します。

まずは、海外の文献を取り寄せ、問屋にこの同じ部品を探してほしいとお願いして、試作してみると以外にできちゃったということで、今度はこれをつけて走ってみてもらいたいとなったのです。

しかし、メンバーはなかなか集まらず、まずは5人からスタートします。

これがヘルス・エンジェルスの誕生です。

名前の由来は、アメリカの暴走族『ヘルズ・エンジェルス』からだそうです。

障害を持っている人が挑戦するときにちょっと不良っぽい心意気や気合が必要だろうということだそうです。(笑)

今では、パラリンピックに出場する選手まで輩出するまでになりました。

メンバーも60人くらいに増えて、スポーツセンターの指導員や若い社員が手伝ってくれるようにもなり、楽しくやられているようです。

まとめ・感想

  • 義足の仙人こと臼井二美男さんは、28歳から30年以上も義足に向き合ってきました。日本のスポーツ義足の第一人者でパラリンピック出場選手の義足も作っています。
  • 臼井さんは、目的をもって生きていたわけではなかったのですが、一生懸命やって自分にある日、突然、人生の扉が開く時が来たのが義肢装具士の仕事だったのです。
    何がやりたいかは、人それぞれですが、人生の扉が開く瞬間というのは、何かを一生懸命にやってもがいているときに訪れるのかもしれません。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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